「人は一日八時間食べてはいられないし、一日八時間飲んでもいられないし、八時間セックスしつづけもできない。八時間続けられるものといえば、それは仕事だ。それこそが人が自分も他の人すべても、こんなに惨めで不幸にする理由なのだ。」
先日ガラス清掃員と話をしていて、彼は自分の職業を「時代おくれだし、命をかけてやるものではない」と言った。アマゾン配達員も寿司職人も「生活のため」と言っていた。
私の祖母はある事務所の整理をする仕事に就いていて、文句を言いながらも楽しく働いていた。78歳で週6勤務。最低賃金以下の最低の現場だったが、働き、職場で誰かと話し、好きな料理を作って、テレビを見て眠りにつく生活だった。フロイトのいう「仕事は少なくとも、その人に現実の一片と、人間社会における安定した場所を提供する」が正しいとするなら、彼女は幸せだったのだと思う。 しかし一昨年祖母が階段から転倒して大腿骨を骨折した。救急病院に運ばれたが、看護師の不適切な対応のため手術中、植物状態になった。病院側は非を認めず、最終的にはカルテも書き換えられていた。彼らはその行為を決断した時どんな気持ちだったのだろうか。医療ミスをした看護師、カルテを書き換えた病院も「仕事は命をかけてやるものでもなく、自分たちの生活のため」だったのだろうか。
これらを経て私は「仕事」について演劇作品を発表しようと思い立った。人間には何千という職業がある。当然そこには人の数だけ感情や経験があるだろう。そこで本企画では「仕事とは、働くこととは何か。日々の糧と同時に日々の意味、現金と同時に人から認められること、つまり死んだままの月曜から金曜日ではなく、何かしらの生き甲斐を求めること」について考えてみようと思う。─────
本作品はスタッズ・ターケル著作による『仕事!』を原案に用い、多種多様の職業、様々な年齢の人々に実際にインタヴューを行い演劇作品を制作する。作中にある『時代がどんなにひどく、公のことがどんなにバラバラでも、我々が「普通」と呼んでいる人たちは、その仕事のなかに、それぞれ個人的な価値を自覚している』、『この仕事では他人のプライバシーが確実に侵害される。そうだとしても、私には経験から、口に出せない夢とか埋れた悲しみを持つ人たちが、それを吐き出したがっているのがわかる。(中略)それがたとえ個人的なものだとしても、痛みというものは他人にも感じられる。私はそう信じている』という言葉を起点に【私の仕事】について京都にて生活、仕事を行なっている人を中心にインタヴューを行い、それをモノローグとして扱い上演を図る。私たちは何のために仕事(生活)をしていると言えるのだろうか。今の私たちが考えられる働き方を観客とともに考えます。
SO LONG GOODBYE 劇評
上演記録
3CASTS vol.19 参加公演
2020年1月16日(木) 19:30
京都UrBANGUILD
構成・演出:河井朗
ドラマトゥルク:田中愛美
出演:渡辺綾子
記録写真|田中愛美
第41回記念 Kyoto演劇フェスティバル参加 U30支援プログラム採択作品
2020年2月9日(日) 16:30
京都府立文化芸術会館
構成・演出:河井朗
ドラマトゥルク:田中愛美
出演:渡辺綾子
記録写真|中谷利明
Mail|ressenchka@gmail.com
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