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    『エンドゲーム』

    作:サミュエル・ベケット

    訳:岡室美奈子 『新訳ベケット戯曲全集1』2018年刊行(白水社)

     

    演出:河井朗

    2024年7月19日(金)〜7月27日(土)

    会場:アトリエ春風舎

  • 岡室美奈子✖️ルサンチカ 

    対談企画 vol.1

    ゲスト:岡室美奈子(おかむろ・みなこ)早稲田大学文学学術院教授、文学博士(ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン)。ベケットを中心に、現代演劇論とテレビドラマ論を専門とする。共編著に『ベケット大全』(白水社)、『サミュエル・ベケット!――これからの批評』『ベケットを見る八つの方法――批評のボーダレス』『六〇年代演劇再考』(ともに水声社)、『日本戯曲大事典』(白水社)、Samuel Beckett Today/ Aujourd'hui 19: Borderless Beckett/ Beckett sans frontiers, (Amsterdam: Rodopi)など。

    @mokamuro

     

    河井朗

    ルサンチカ主宰・演出家

     

    蒼乃まを

    青年団所属 本作のドラマトゥルク

  • 河井 今日はありがとうございます。よろしくお願いします。

     

    蒼乃 お願いしまーす。

     

    岡室 よろしくお願いします。

     

    河井 今回の対談の目的としては『エンドゲーム』自体がやっぱり日本で上演記録がそんなにないので、翻訳の岡室さんからこの作品について、これから観るよっていう人に対して、ガイドになるようなお話が聞けたらだとか、そういったところからいろいろ発展させていけたらなと思っています。では早速ですが、さっきの通し稽古いかがでしたか?

     

    岡室  面白かったです。リップサービスではなくて(笑)。

     

    河井 よかった!

     

    岡室 うん、すごくね、役者さんたちが熱演されてましたね。演じるのが難しい芝居なんですよね『エンドゲーム』って。内容的にはそんなに難しいと思ってないんだけど。多分、演じる方達にとっては、恐らくゴドーよりも難しいだろうと思うんです。 でも役者さんたちがそれぞれにすごく役を面白く解釈していらっしゃる、と思いました 。

     

    河井 ありがとうございます。

  • 日本での上演記録/戦争の物語・家族の物語

     

    河井 『エンドゲーム』が日本での上演記録がほとんどない。2006年にシアタートラムで上演されていたのが最後で、あとは『勝負の終わり』で検索してみてもほぼ検索に引っかからない。海外では結構上演されているような気がするんですけれど。

     

    岡室 そうですね、海外では何度か観たことがあります。今年もアイルランドでドルイド・シアターという有名な劇団がやります。

     

    河井 ちょうどコロナ禍くらいにこの戯曲を初めて読んで、これは世の鏡になるんじゃないかっていう気持ちが強くあって、いま上演したらすごいことになるなーと思ってたんですよね。それから上演の機会をずっと伺っていたら、ウクライナとロシアで戦争が始まって、今度また違う国で凄惨なことが起きてしまった。この戯曲が孕んでいる、戦争の気配みたいなことから、僕はこの戯曲をいま上演するべきなのではないかなと思いました。
    もう一つは、これは家族の物語なのかもしれないと思えたんです。この戯曲、初見では意味がわからないなぁと思っていたんですけど、これもしかして、知らない人の家族の会話をずっと聞いてるのかもって気がしてきて。そう気づいたときにかなり読みやすくなりました。僕は上京するまで大阪の市営住宅に住んでいたんですけど、隣の部屋に住んでいる家族がどんな構成かはわかってたりする、でもそこで行われている会話まではわからなかったりするわけじゃないですか。もしそれを見ることができても、きっと僕は話に入れないしわからない。けど彼らの中では話は通じている。そう思うとこれってすごく身近な話なんじゃないかと。だから上演記録があまりにもないことに驚いてしまって。

     

    岡室 ですよね。本当に何で上演されてないか私もわからないんです。

     

    河井 あはは(笑)。

     

    岡室 でも本当に今、河井さんが仰った通りで、いろんな意味でね、やっぱり今を写す鏡になる作品だと思うんです。

    ベケットの作品って、特に『ゴドーを待ちながら』がそうなんですけど、世界各国の戦争とか、厄災とか、災害とか、そういう場所で上演されてきてるんですよね。困難な状況と響きあうようなところがあるので。今の戦争の状況とか、コロナの状況とかね。そういうものと響き合うのと同時に、家族の物語でもあるわけですよね。で、特にハムが動けないっていうところを見ると、介護の問題にも結びついてしまう。ハムとクロヴが本当の親子なのか、もらってきた子供かどうかわからないけど、父と息子的な関係はあって、でもその中で、何で言いなりにならなきゃいけないのかって理不尽な思いでクロヴが爆発していくわけですよね。

     

    河井 はい。

     

    岡室  で、出て行くか出て行かないかっていう緊張感が生まれてくるんだけど、そういうのって本当にヤングケアラーの問題そのままですよね。その中で、憎しみもあるけど、なぜか捨てられない愛情や葛藤もあるみたいなね?

    そういう家族の業のようなものが、結構ストレートに描かれているように感じるんです。だから不条理劇っていうと、なんかすごく高尚な(笑)、

     

    河井 はい(笑)。

     

    岡室  哲学的なことを扱っているようなイメージがあるけど、別にそういうわけじゃなくて、本当にいろんな家族にあるような、家族の間の業とか理不尽さとか、なんか切ない感情とか、そういうものがリアルに描かれている作品のように思うんですね。親を捨てるかどうかって、例えばそれは施設に入れるとか、別に施設に入れることが捨てることではないけれども、いろんな選択を迫られるわけじゃないですか。そういう選択の迫られ方も、この作品の中で一つ描かれている気がする。人は年を取るとだんだん身体が動かなくなっていくわけじゃないですか。まだねえ、お二人ともお若いから(笑)、

     

    蒼乃・河井 (笑)

     

    岡室 そういうのぴんと来ないと思うけれど、だんだん身体が動かなくなってきたときに、どうやって、自分を楽しくさせていくかを考えると、物語って一つの手段なんだと思うんですね。だからハムが、いろんな人の役を1人で演じ分けながら物語を語るのって、自分の身体が動かなくなって何もできなくなってしまったときの、最後の拠り所というか、最後のエンターテイメントみたいなところもあるし、誰にとってもリアルな話のような気はするんですよ。

  • 感情移入

     

    河井  稽古という形でしたが、通しを今日観ていただいて、どんなこと思われたりしましたか。

     

    岡室 そうですね、特に最後のところが、私はもはやハムのほうに感情移入してしまう年になってきたなあっていうのをしみじみ思いながら観てたんですけどね(笑)。クロヴは旅支度をしつつも、去って行かないかもしれない。でもハムは依存から脱して孤独を選び取っていこうとするじゃないですか。

     

    河井 はい。

     

    岡室 自ら孤独を選び取っていくことに、覚悟とか切なさとかもういろんなものが含まれていて、鉤竿を捨てて、犬を捨てるところでちょっともう泣きそうになっちゃう、うん、なっちゃいました。だからどこか他人ごとではないんですよね。

     

    河井 ああ、そうなんですよ、だから僕はゴドーよりは全然わかりやすいなあって思っていて(笑)。結構上演されていいんじゃないかなあとは思うんですけどね。

     

    岡室 やってほしいですねー。

     

    河井 それこそ岡室さん宛に上演許可の依頼とか全然こないって仰ってたので、何でかなみたいな(笑)。まをさん、なにかありますか。

     

    蒼乃 そうですね。私あんまり演劇を普段観ないし、読まない。

     

    岡室 そうなんですか(笑)。

     

    蒼乃 そうなんです(笑)。全く演劇畑の人間じゃないんです。だから、先に『エンドゲーム』を読んで、これやるならゴドーを読んどくかっていう入りで(笑)。

     

    岡室 うん(笑)

     

    蒼乃 ゴドーのほうが上演される理由は、ゴドーのほうがフィクションなんだなぁと思えるからだと思っていて。

     

    河井 なるほど。

     

    蒼乃 で、『エンドゲーム』読んだときに、ちょっと身近すぎるのかもとは思いました(笑)。今回、ルサンチカのwebには、例えば介護のこととか、もちろん戦争のこととか、自分がこういうことになっちゃうかもみたいな、そういう意味で身近な話として上演ができるんじゃないかっていうのを書いてるんですけど。まだ自分の中で解決できてない、物語として消費するほど距離をおけてないことがここに乗っちゃっている気持ちになるのかもしれないなと。で、今回も、私はお話を聞いていて、思ったんですけれど。いつのまにかクロヴの目線で読んでいたんだなってことに気付かされて。

     

    河井 うん。

     

    蒼乃 最後、竿を捨てるハムを、ここで竿を捨ててくれることによって、クロヴが解放されるかもしれない可能性が出てくるじゃないですか。

     

    岡室 うんうん。

     

    蒼乃 しがみつかないっていうか、ハムは1人でここにいることを選択する。クロヴから離れる、まあクロヴが離れるとも言えるんですけど、っていう選択をハムに課すことは、若者から親へ、突き放すみたいなことになっちゃわないかなって。独りよがりっていうか、都合のいい解釈なのかなあと思ってたんです。でもあれを、ちゃんと勇気を持って(笑)、捨ててくれることを、きれいなものとしてハムに近い世代の人が読む、読める、受け止められる物語なのかと思うと、みんなにもっと笑ってほしいし(笑)、楽しいもの、エンターテイメント性があるものとして、もうちょっと演出をしっかりやっていっていいんだなと、ちょっと自信が出ました(笑)。

     

    岡室 もちろん最後の場面っていろんな解釈ができると思うんですけどね。

     

    蒼乃 そうですね。

     

    岡室 ひょっとしたらクロヴはハムが竿や犬を捨てちゃったのを見て、自分がいなきゃって思っちゃうかもしれないし。それにあのシェルターみたいな空間から外に出たら死ぬかもしれないわけですよね。生き物がほぼ絶滅しているような状態で、それこそコロナ禍の自粛期間を思わせるけど多分もっとひどい。クロヴにとっては外に出ても出なくても辛い。そこでクロヴがどんな選択をするかなんですよね。どんな選択をしても責められないと思わせるものがあります。

     

    河井・蒼乃 うんうんうん。

     

    岡室 そこの解釈は読み手に開かれてると思うんです。で、蒼乃さんのように解釈してくれるのは、やっぱり読み込んでくださったからですよね。

     

    河井・蒼乃 (笑)

     

    岡室  多分、一般的には『エンドゲーム』ってあんまり読まれてもいないんじゃないかっていう気がするんですよ。『ゴドー』なんかに比べると。

     

    蒼乃 そもそも?

     

    岡室 うん、何となく難しいお芝居っていうイメージが先行してるんじゃないかと思うんですね。『ゴドーを待ちながら』はすごく有名だっていうのもあるけど、2人の暇つぶしの会話で進んでいくじゃないですか。だけど『エンドゲーム』ってなんか、最初取っ付きにくいイメージがあるんじゃないかと。

     

  • 「待つ」こと

     

     

    岡室 解りづらいから敬遠されるんじゃないかと思うので、こうやって上演していただくことで、ああ、これ自分たちの物語じゃんって思ってくれたら、もっと読んでもらえるかもしれないし、ほかの劇団も続いてくれるかもしれないです(笑)。

     

    河井 そうですよね。『ゴドー』も『エンドゲーム』も、僕は待つ、ていう行為が多分に含まれているなと思っていて。で、じゃあ実際この「待つ」っていうものを、どうやって見せなくちゃいけないかを結構しっかり考えることになったんですよね。当時『ゴドー』とかで、「待つ」ってことが面白いんだっていうのが、もう1950年代で明らかになったわけじゃないですか。そのわかった以降の「待つ」っていうのは、消費される「待つ」だなって僕はちょっと考えていて。じゃあ今度『エンドゲーム』をやるなら、「待つ」をちゃんと見せる。見せてエンタメとして消費してもらわないとだめなんじゃないかと思って。それで今回、漫才といいますか。いま我々がやっていることをあなたたちに見せていますよっていうふうにやれると、気持ちよくいけるのかなあっていうふうに考えたりしました。

     

    岡室 待つってやっぱりすごく大事だと私も思うんです。コロナのときにね、カミュの『ペスト』を読み直して、

     

    河井 はい。

     

    岡室 で、『ペスト』の主人公のリウーが、ペストが流行している間は待たなきゃいけないっていうことを言ってるんですよね。結局、待てないで浮かれちゃった人たちがどんどん感染していくんですよ。

     

    河井・蒼乃 (笑)

     

    岡室 これすごくリアルだなって思って。で、カミュが『ペスト』を書いた多分直後ぐらいに、ベケットはゴドーを書いてるんですよ。それは第二次世界大戦の直後でもあるんだけど。ああ、ベケットは『ペスト』を読んでたんじゃないかって。

     

    河井  へー!

     

    岡室 『ペスト』が言ってることって、如何に人が加害者にならないかっていう話なんですよね。浮かれて外に出ちゃうと、人にうつしちゃうわけじゃないですか。だから結局、加害者にならないことって、それこそ自粛(笑)、 するとかねえ、待つっていうことなんですよ。如何に人は加害者にならずに生きていけるかっていうことを、ベケットはゴドーで書いたんじゃないかと思うんです。待つってすごくだめなことみたいに私たち思っちゃうじゃないですか。

     

    蒼乃  うんうんうん。

     

    岡室 アクティブであることがいいことだって刷り込まれてるから。でも別にアクティブであることが必ずしもいい、とは限らない。特にコロナのときにそれが顕在化したっていう気がするんですよね。うん、だから、待つっていうことを、ポジティブに捉えるっていうところに成り立っている作品だなって思って。で、人は、必ず死ぬんですよね。

     

    河井 はい。

     

    岡室 だとすれば人は死ぬまでの時間を待ってるとも言える、でもそれを如何に楽しく過ごすか。それはコロナの間に、自粛期間を如何に楽しく過ごすかっていうことにも似てますよね?だから家で踊ろうみたいなのも(笑)。 ※星野源『うちで踊ろう』

     

    蒼乃  ありましたね(笑)。

     

    岡室 うん、あれは待ってる間の、まあ暇つぶしいみたいなものですよね。私たちはコロナを経て、「待つ」っていうことのリアリティを獲得したと思うので、そういう意味でもやっぱりベケットは身近になったんじゃないかなと思います。だからそれはもう全然消費していい(笑)、ですよね。

     

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    日時・会場

    2024年7月19日(金)〜7月27日(土)

    全9回公演 上演時間:約110分予定

     

    アトリエ春風舎

    所在地:〒173-0036 東京都板橋区向原2-22-17 すぺいすしょう向原B1

    アクセス:東京メトロ有楽町線・副都心線/西武有楽町線「小竹向原駅」下車 4番出口より徒歩4分

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    ・7月19日(金)18:00 

    ・7月20日(土)18:00 

    ・7月21日(日)13:00

    ・7月22日(月)13:00

    ・7月23日(火)休演日

    ・7月24日(水)19:00

    ・7月25日(木)19:00

    ・7月26日(金)13:00/19:00

    ・7月27日(土)13:00

    ★終演後アフタートークあり、ゲストは兼島拓也さん、佐藤信さんをお招きします。